武道館、昭和、平成、
1964年(昭和39年)の東京オリンピック、柔道競技の会場として建設された武道場だ。
正八角形という形は武道精神の象徴や方角との関係、
そして法隆寺の夢殿を模したともされている。
正に、武道館はその名の通り武道を行う聖地として誕生したのである。
そんな武道の館が「ロックの聖地」などと呼ばれる事になるとは誰が思っただろうか。
しかし建設から早くも2年後の6月、『THE BEATLES』が武道館で初めての日本公演を行ったのは有名な話だ。
(厳密に言うと初めての武道館ステージ上での公演は『THE BEATLES』の前座を務めた、尾藤イサオや内田裕也、ザ・ドリフターズらであるが。)
『THE BEATLES』の日本公演は、屋内である事やチケットの売り上げを踏まえた収容人数の関係から、日本武道館に白羽の矢が立った。
この頃は、まだ多くのアリーナが設立されておらず、1万人が収容できる大きな会場は武道館だけだったのだ。
武道の聖地をコンサート会場に利用するという事は、批判も一定数あったという。
更には、あくまでも武道を行うために建てられたものであるため、音響性能面などは決して良いとは言えない環境である。
が、
世界的に認められ、日本でも絶大な人気であった彼らのコンサートの成功が、
武道館をライブ会場として使用するという新たな道筋になったのだ。
改めて、
日本公演を武道館で行なった『THE BEATLES』、そしてよく決断した(決断せざるおえなかったのか笑)コンサート関係者に感謝である。
『THE BEATLES』がコンサートを行った場所として、日本だけでなく世界に名が知れ渡った武道館。
その後、レッドツェッペリンやディープパープル、クイーンなどの海外アーティストも日本での公演を武道館で行うようになっていく。
ちなみに日本人で始めてライブを行ったのは(THE BEATLESの前座を除いて) 『ザ・タイガース』だ。
そんな武道館の誕生から約25年。昭和天皇の崩御により、1つの時代が終わりを告げる。
この時、『爆風スランプ』が2度目の武道館公演3daysを行う予定であったが、初日と2日目を自粛する事を決め3日目(1989年1月9日)のみの公演を行った。
これが平成最初の武道館ライブとなった。
武道館のコンサートはどんな意味を持つのだろう。
1つはキャパ。
360度の客席全てを使い最大でおよそ14000人。
アーティスト、バンドが10000人を超える人を集める事ができる、という事は音楽シーンである程度の評価を得られたという意味合いが持てるだろう。
武道館を成功させ、次の更に大きな会場を目指すという足がかりになる。
そして上でも述べた、
武道館で起きた今までの伝説だ。
素晴らしいアーティスト達が、
始まりの地、そして区切りの地として音楽を奏でてきたこの武道館で演奏する事がステータスのようになっている気がする。
そして他のライブ会場と違い、武道館はアーティストの色を選ばない。
洋、邦、ロック、ポップ、ジャンル選ばず様々なドラマが生まれる。
(もちろん音楽以外もである)
そしてもう一つは、天井から下がる巨大な日の丸。
(別に何か宗教的思想を持っているとかではなくて)
この国旗はほとんどのコンサートでそのまま掲げられている気がする。
武道館でのコンサートでアーティストが「この日の丸の下でライブができて…」というようなMCをするのもよく聞くように、やはり国旗の下でライブをするのは何か特別な気持ちになるのだろう。
そんな音楽的意味でも特別な場所となった日本武道館。
日本武道館の平成も終わる。
平成最後の日本人アーティストによる公演は『MISIA』。
<MISIA 武道館 LIFE IS GOING ON AND ON>と銘打った3days。
アジアを代表する歌手として、多くの人を魅了してきた彼女の圧巻の歌声は
まさに時代の締めくくりにふさわしい。
今回のライブはステージ後方の席も解放し、
360度超満員の武道館での観客とのシンガロングはものすごい迫力だ。
昭和、そして平成と、
数々の伝説と感動を生み出してきた武道館。
1964年の東京オリンピックを機に建てられた武道館は、
今年から、2回目の東京オリンピックに向けた改修工事に入る。
約一年、使用できなくなる、このような長期にわたる工事は初めてだとか。
改修を終え生まれ変わった武道館は、
新しい時代にどんな素敵なステージを生み出してくれるだろうか。
私自身もこの武道館という場所が大好きだ。
多くのアーティストが武道館を志し、
また、記録を更新し、
多くの人が音楽を全身で楽しみ、感動し、
音楽の素晴らしさを改めて感じられるような場所であり続けることを心から願っている。
そして、また武道館に行く機会があったら、
全力で楽しもう。