音楽を食べた

個人的メモメモメモ

写真の起源 を見てのメモ

 

 

ゴールデンウィーク中に東京都写真美術館で行われていた写真展

戦禍の記憶」「ヒューマンスプリング」「写真の起源 英国」の3点を見学した。

 

その中から今回は「写真の起源 英国」について記したい。

 

 

 写真術の研究は18世紀ごろから始まり、

1839年フランスのダゲールによってダゲレオタイプが発表される事で写真発明の出発点と認識されている。

 

そんなフランスと並んで研究が盛んに行われ、写真の発展をリードしてきたイギリスから、タルボットを始めとするまさに「写真の起源」と言うべき貴重な写真が展示される。

 

 

軽く写真史を振り返ってから改めて見学した。

大きく分けて、私が気になったポイントは3点。

 

まず1点は写真技術の発達

2点目に、写真そのものが持つ意味の変化

3点目が資料や作品の管理、だ。

 

 

 写真技術に関しては、

タルボットの研究の始まりである、

カメラルシダで描いたスケッチや研究の日記から、

大判カメラを用いた単塩紙や鶏卵紙への細密な描写に至るまで、

歴史の移り変わりが作品の流れを通じてよく理解ができる。

 

 

タルボットによる、

カメラルシダを用いた湖のスケッチは、

正直、美しい、うまい、といった感想は持てない。

だがそれは、当時、目の前の景色をそのまま写し取り、紙などに留めておくという事がどれだけ困難であったかを示すとも言えるだろう。

 

また、ガラスの原板なども展示されており、現物を間近で見ることで、原板の大きさを改めて感じる事が出来た。1枚1枚の重みや存在感が、そこにはあった。

 

 

2点目にあげた、

写真そのものが持つ意味の変化について。

上に記したように、

写真研究の始まりは技術的関心からであるが、

写真そのものの意味は絵画的、芸術的意味も帯びていくようになり、

写真を科学とするか芸術とするかという論争が繰り返されていく。

 

第2章からは、

ロンドン万国博覧会の時期を中心となる。

そして作品からはまさに科学技術としての写真と、

ピクトリアルで芸術としての写真がぶつかり合い、また、双方が交差した事がわかる。

 

 

そこで特に印象に残っているのが赤ずきんと題された写真である。

 

これは、初めて写真としてのセクションが確立した第2回目の博覧会に出品されたものだ。

赤ずきんがおばあさんに扮した狼に会う場面で、

“つくられた”感のある独特な雰囲気を感じられ、

決して科学的な作品という印象は受けない

そのいい意味の“つくられた”感、

つまり、フィクションである絵画的で芸術的側面を写真で表すという、

現代に通じる写真創作が確立してきたと言える。

 

 

3点目の資料や作品の管理に関しては、

作品自体の感想とは少し離れるが、気になったことの1つである。

展示室に入る前に、警備員2名による手荷物検査が実施されていた。

 

貴重な資料や作品を展示しているとはいえ、

私にとって写真展で手荷物検査を受けるのは初めてであったため、作品が何よりも第一優先で管理が徹底されている事に少し驚いた。

 

 

また、会場が薄暗いのはもちろん、ガラスの原板や紙媒体の資料などが展示されているガラスケースもやはり温度湿度管理が徹底されており、

全てのケースの温度は19.1℃から19.7℃の間で管理されていた。

また、感光してしまうのを防ぐためか黒っぽい布がかけられている作品もあり、

見る際に自分でめくる仕組みだった。

 

パンフレットの紹介にもあるように、日本で未公開の作品が多く、

貴重な作品ばかりだという事が身をもって感じる事ができた。

 

 

 

 

 

今回、この写真展を見学する中で写真の多くの役割、

そしてその変化を感じる事ができた。

 

私たちが今当たり前に使い、楽しんでいる写真。

その研究の始まりを自分の目で感じる事で、

困難でありながらもどれだけ偉大な発明であるのかを知った。

 

最近では、デジタルカメラはもちろん、スマートフォンのカメラの性能もかなり良くなり更にはアプリケーションなどでの細部に渡る加工が可能だ。

 

また「写ルンです」などのフィルムで写真を撮ったり、粒子の荒い独特の色味も流行っている。

 

まさにこれは、過去の発明家や化学者、写真家たちが築き挙げてきた写真創作、

つまり、科学技術として、記録の手段として、更には絵画のような芸術作品として、様々な表現ができる写真の現在の形なのかもしれない。

 

個人的曲の感想のメモメモ

 

 

神様、僕は気づいてしまった

52Hz

 

 


まずPVにも出てくる「クジラ」について。

周波数52Hzで鳴くクジラ、通称「52Hzのクジラ」というのは、あるクジラの種であるらしい。シロナガスクジラナガスクジラなどの他のクジラの鳴き声の周波数が10~30HZなのに対して、

このクジラの周波数は52Hz。

 

他のクジラの周波数と比べて、圧倒的に高い周波数。

このメカニズムは解明されておらず、他の仲間とのコミュニケーションが取れないことから「世界1孤独なクジラ」とも言われる。

 WikipediaYouTubeで調べるとその音を聞くことができる。

 


この話を少し知っておくとより歌詞を深く感じられるかもしれない。

そんな、52Hzの鯨をモチーフにした楽曲。

続きを読む

武道館、昭和、平成、

 

 

日本武道館

1964年(昭和39年)の東京オリンピック、柔道競技の会場として建設された武道場だ。

 

八角形という形は武道精神の象徴や方角との関係、

そして法隆寺の夢殿を模したともされている。

正に、武道館はその名の通り武道を行う聖地として誕生したのである。

 

 

そんな武道の館がロックの聖地などと呼ばれる事になるとは誰が思っただろうか。

 

 

しかし建設から早くも2年後の6月、THE BEATLESが武道館で初めての日本公演を行ったのは有名な話だ。

(厳密に言うと初めての武道館ステージ上での公演は『THE BEATLES』の前座を務めた、尾藤イサオ内田裕也ザ・ドリフターズらであるが。)

 

THE BEATLES』の日本公演は、屋内である事やチケットの売り上げを踏まえた収容人数の関係から、日本武道館に白羽の矢が立った。

この頃は、まだ多くのアリーナが設立されておらず、1万人が収容できる大きな会場は武道館だけだったのだ。

 

武道の聖地をコンサート会場に利用するという事は、批判も一定数あったという。

更には、あくまでも武道を行うために建てられたものであるため、音響性能面などは決して良いとは言えない環境である。

 

が、

世界的に認められ、日本でも絶大な人気であった彼らのコンサートの成功が、

武道館をライブ会場として使用するという新たな道筋になったのだ。

 

改めて、

日本公演を武道館で行なった『THE BEATLES』、そしてよく決断した(決断せざるおえなかったのか笑)コンサート関係者に感謝である。

 

 

THE BEATLES』がコンサートを行った場所として、日本だけでなく世界に名が知れ渡った武道館。

その後、レッドツェッペリンやディープパープル、クイーンなどの海外アーティストも日本での公演を武道館で行うようになっていく。

 

ちなみに日本人で始めてライブを行ったのは(THE BEATLESの前座を除いて) ザ・タイガースだ。

 

 

そんな武道館の誕生から約25年。昭和天皇崩御により、1つの時代が終わりを告げる。

 

この時、爆風スランプが2度目の武道館公演3daysを行う予定であったが、初日と2日目を自粛する事を決め3日目(1989年1月9日)のみの公演を行った。

 

これが平成最初の武道館ライブとなった。

 

 

続きを読む

チケット転売

 

CD屋さんやコンサート会場、ライブハウスにたまに貼られているこのポスター。

www.tenbai-no.jp

 

先日、たまたま見かけてふと思い出した。

チケットの高額転売についての規制法が去年末ついに成立した事を。

 

厳密にいうと

 特定興行入場券の不正転売の禁止等による興行入場券の適正な流通の確保に関する法律

という法律。(難しそう)

 

 

 

これは音楽ライブだけの話では無いのだけれど、

やはり転売って良くない。本当に良くない。

 

人気のコンサートやライブのチケットを沢山の名義で買い占めて、

定価よりも高額な値段を設定し、オークションや流通サイトで販売する、 とかね。

 

この⇧せいで、

本当にそのコンサートやライブに行きたかった人が行けなくなってしまう、

埋まるはずの会場に空席を作ることになってしまう、

アーティストでもスタッフでもない何の関係もない悪い人にお金が渡る、

なんて事が起きてしまう。

 

更に言えば、会場に来る事で得られたはずの

グッズやフードを買う楽しさや、周りの人との出会い、新しい音楽との出会い、を奪ってしまうという事、つまり音楽の未来を奪ってしまうという事。

 

それはとても悲しい、

 

今まで、様々なアーティストがこのチケット転売問題について言及してきたけれど

なかなか無くならないのが現状であった。

 

以前問題になった「チケットキャンプ」も思い出されるが、

流通サイトに出品されているチケットは、全てが転売のため(儲けのため)とも言い切れないのがなかなか線引きのし難い問題だったのだろう。

 

今回のこの法律でどういう事が規制できるようになったのか?

 

 

www.bunka.go.jp

 

 

 

対象は 「特定興行入場券」

チケットなら何でも適用、というわけでもない、音楽や芸能、スポーツなどの興行に関するものである事だ。

他にも、興行主や販売業者が転売禁止の旨を明記してある事や、日時や場所座席指定などの表示がある事などが条件となる。

(勿論、条件を満たせば紙のチケットだけでなくスマチケなども同様である)

 

 

そうしてこのチケットを、

「業として」

事業として。反復継続の意思があって。

 

要するに、よろしくない考えのもと、興行主などの同意なく定価の価格以上で販売しようとする事が規制されるという事だ。

 

 

 

続きを読む

平成の終わりに

去年発売された「平成くん、さようなら」を最近定期定期に読み返している。

 


初めて読んだときは、

本当にあの古市憲寿さんが書いたのかと驚いた。

TVなどのメディアに出演されている古市さんとはかなり印象が異なる小説だったからだ。

 


独特の結婚観だなぁ。と発言を聞いて思ったことはあったが、

彼と恋愛というものは遠いものどうしという印象だった。

 


であるから余計そう感じるのかもしれない、

 切なく、脆く、繊細な物語である。

 

 

 

死ぬのは悲しいことだと思う、

会えなくなってしまうから。

そばにいて欲しいから。

声を聞いていたいから。

そこにその人というカタチが無くなってしまうから。

 


でも平成くんはそれを

「長く生きて欲しいと思うのは、残されたもののエゴだ」と言う。

少しだけ冷たい言葉だけれど、新しい視点だと思った。

 

 

 


平成くんと愛ちゃんの間で、

AIスピーカーとして登場する、

''人工知能(AI)''が重要な存在となる。

 


平成くんはどんな気持ちだったのか。

 

AIスピーカーが代わりに応答をすることは、

AIスピーカーが平成くんであることとイコールとしていいのだろうか?

 

 

 

「僕がどこか遠くへ行くとするでしょ。その時に愛ちゃんがスピーカーに話しかけると、世界のどこかにいる僕のところに連絡が来るんだ。だから、そのまま僕が返事をしてもいいし、何も応答しなかったら、今まで通り人工知能が勝手に答えを返してくれる」_平成くん、さようなら

 

 

 

平成くんらしい考えではあるが

人工知能が代わりなんてあまりにも切ない。

でも、同時に

それは残される者のエゴであり勝手なわがまま。

 


AIスピーカーに向かって

「ねえ平成くん、」と何度も呼びかける

愛ちゃんはどんな気持ちだったのだろう。

 


「ねえ平成くん」

「ねえ平成くん」

 

 

 

 


もしかしたら、

死ぬ=この世からいなくなる

死ぬ=悲しい

死ぬ=怖い

死ぬ=離れ離れになる

なんて、概念はいつか消え去るのかもしれない。

 


それが良いのか悪いのか幸せなのかそうでもないのかわからない。

 


でも死やそれに伴う愛の概念を人工知能が変え得るということは確かである。

 

もしそうなったとき、

では人間である意味は何だろう。

AIでいいじゃないか?

人間の儚さとは何だろう。

どうして人間を好きになるんだろう。

AIを好きになっちゃいけないのか?

愛情とは何だろう。

 

そんな問題にぶつかる時がいつか来るのかもしれない。

soraru 10周年ライブ

個人的メモ!!!!

 

 

 

 

 

SORARU LIVE TOUR 2019 -10Th Anniversary Parade- 

と題された今回のツアー。

幕張メッセ2daysでファイナルを迎えたこのライブ。

 

やっぱりライブ会場の独特な高揚感はたまらなく好きだ。

 

 

 

青いペンライトに包まれた会場が今か今かと待ち望む中、レーザーが放射状に光り、電子音楽風のオープニング。

 

静かに姿を現わすと、ロック調でヘビーなサウンド「銀の祈誓」からスタートする。

会場が興奮に包まれる中続けて「セパレイト」へ。

 

「群青のムジカ」では冒頭 ”すごい景色。みんなに見せてあげたい” と口にし会場を見渡しながら微笑む姿が印象的であった。

 

そして「Liekki」では会場いっぱいに高音を響かせ、「シャルル」を伸び伸びと歌い会場を魅了していく。

 

バンドメンバーの巧みなソロも見所である月世界旅行で会場に呼びかけるなど余裕を見せつつ「文学少年の憂鬱」では感情を込めしっとりと歌い上げ会場を引き込んでいく。

 

吹雪のような音で始まり、優しくも切ないサウンドのバンドセッションを終えると、

今回のライブのデザインとなっている衣装にチェンジし再度登場。

バンドセッションの哀愁漂う雰囲気そのままに「ゆきどけ」を歌い、雪が降る演出も。

 

「嘘つき魔女と灰色の虹」では花道を移動しセンターステージへと向かう。続いて「ビー玉の中の宇宙」では円錐状の光降り注ぐ中、シャボン玉の演出で幻想的な雰囲気を作り上げ、「合言葉Ⅲ」で観客との掛け合いも楽しみながらセンターステージを後にする。

 

MCでは自身の最近の活動について触れ、その中で5月に公開となる映画「賭ケグルイ」の主題歌となる「アイフェイクミー」を披露。アップテンポでロックなナンバー。勢いそのまま「マダママゴト」に。

 

そして今回のツアーそれぞれの会場でアンケートを取り、1曲歌うという企画について触れる。幕張1日目は「雨き声残響」丁寧に音を当てていく。

 

「夢のまた夢」「彗星ハネムーン」ではトロッコを使い更に会場後ろまで周り、観客を楽しませた。観客にマイクえたを向ける場面や呼びかける場面も多くみられた。

 

「Fire Pit」の曲紹介を終え、ステージ奥から登場したのはオーケストラ。”そらるファンファーレ”が鳴り響く。オーケストラならではの厚みのある演奏に乗せてそのまま「彗星列車のベルが鳴る」を熱唱。

 

本編ラストである「長い坂道」では合唱曲を意識したという柔らかなピアノのイントロが美しい。”長い坂道が今日はこんなに嬉しいんだ”という前向きでありながらちょっぴり切ない歌詞である。桜を模ったハート形ピンクの紙吹雪が降る演出も幻想的である。

 

アンコールではオレンジ色の柔らかな光に包まれ「夕溜まりのしおり」、そして最新シングル「ユーリカ」を歌う。天井から風船が降る仕掛けも。

 

「みんなのおかげで夢の続きが見れました」と、前回のワンマンライブ”夢見るセカイの歩き方” を意識したように述べ笑顔を浮かべている姿が印象的であった。

 

10周年という節目の年、

動画投稿を始めたばかりの頃の心境にも触れつつ、これからの活動意欲も見せつける。

 

幕張2日目では、「言わなきゃいけないことが、、」と切り出し、

今年の夏、7月17日に新アルバムを発売することを発表し、観客を大いに沸かせた。

 

(予約しなきゃ

 

 

 

 

「またどこかで会おう」という言葉がなんだかすごく嬉しくてわくわくした。会場をたくさん移動して、うしろの人も楽しめる工夫が沢山で、色々考え構想を練ったんだな、なんて思いながら観てた

 

会場みんながが笑いながら(嬉し過ぎて泣きながら?)ステージを観て一緒に歌う空間、私は大好きだ○